信剣士の細やかな時間のホット一息

チャレンジャーとしての世界で生きたいと思います。会社にエネルギーを注いで来ましたが自分の存在が如何に薄いのか思い知らされ、これからは自分の希望のためにエネルギーを使って見ます。私は何処まで歩いて行けるのか知りたいです。ぶらっと、いろんなテーマに触れて行こう。

失いかけた価値観を取り戻せ!《お金の本来あるべき価値》

f:id:sinkensin:20190903225553j:image

皆さんはお金って好きですか、私は大好きです。出来る事ならガッツリ稼ぎたいとも願ってるのも事実です。実際問題、私の身の周りにもお金の存在を多く求めてる人が数多く居ます。多くのお金が有れば叶えられる内容も果てなく広がりそうですよね。でもここで少しお金の在り方について少し考えてみたいと思います。何故こんな話しをしようかと考えた理由ですが、

「あれ?ちょっと待って何か違う気がするぞ!」

と感じてしまったからです。そこで本来の理想とするお金の価値観って、いったい何か、と言った事について考えて見ませんか。

 

  • お金は何かを、行うためのツール

 

お金の本来の目的は、何かに変換させる為のツールです。この何かにテーマを持つのが基本だと思うのです。凄く当たり前に感じるのですが時折疑問に思う事があり、それについて話してみます。

 

 

価値観の優先順位に違和感を覚える

 

先にも述べましたが私的価値基準ですが、

  1. 何か目的が最優先
  2. それを達成させる為のツール(お金)

そうなんですよね、どんなに頭をひねっても1番の価値基準はブレては行けない物だと信じてます。ですが私が違和感を感じる内容がこちら

  1. お金が絶対!
  2. 後は全てにおいて、お金で満たされる

この優先順位の違いが、微妙だけど違和感を感じてしまうのです。少しだけ例に挙げて見たいと思います。

 

f:id:sinkensin:20190903225716j:image

運命の出会い

 

ある素敵な女性と男性は出会い、その女性に惹かれてしまいます。なんとか彼女にしたいと願う男性が、その女性に取った行動から検証してみましょう。

男性A

彼はその女性に札束を1束2束と増やして行きます。そして彼は女性に向かって声を掛けるのです。

「何束有れば、私の彼女になってくれる?」

男性B

彼も男性Aと同じくお金持ちです。ですが彼の取った行動は有名な遊園地に誘い、美味しい食事を一緒にして記念に高価なアクセサリーを女性に送りました。そして女性に声を掛けました。

「君は魅力的です。私は君に惹かれ、惚れてしまいました。これから先も、私と一緒のお時間を過ごして頂けませんか」

 

如何でしょうか、男性Aはお金の価値その物で女性の気を引こうとしたのに対して、男性Bはお金を道具として使い、自分らしさを表現しながら女性の気持ちに語り掛けるのです。男性Aのお金の使い方、在り方が、一歩間違って使われてる様に感じませんか、確かにお金の存在意義って凄い事で有るのは否定できませんが、方向性を間違えると残念に感じてしまいますね。

 

  • 人の幸せを司る価値観は感情の交流である

 

人生論で再認識して欲しい事が有るのですが、それは人としての感情に注目する事だと思っています。まず第一に社会生活において重要視されている事。それは感情の犠牲だと思うのです。当然円滑に社会や企業が廻って行くには効率や利便性の向上が不可欠だとも思うのですが、その分人々から笑顔が消えストレスを抱え生き苦しさに疲労してる人達がいかに多いか実感させられています。勉強の苦手な人は不出来だとレッテルを貼られ、社会のルールや基準に乗せられない人種を取っ払う感覚って、残念に感じます。社会適正の高い人達は、相手の感情に敏感に感じる事に欠落してしまいパワハラに苦しむ弱き末端の立場の人達を量産してしまいます。社会の女性達を、まともに口説けない(相手の感情に鈍感すぎる)価値観しか持てない上層社会の男性陣。地位や肩書きが立派で、出世街道を上り詰めた大人達の未熟な感性でのセクハラ問題で涙を呑む女性達。社会生活でも恋愛でも感情の交流の末に生まれる喜怒哀楽の喜と楽が伝わって来ない。最近では、何となくですが機械的な感情の様にしか感じられない場面に遭遇する機会が増えてる様に感じます。

 

f:id:sinkensin:20190903225932j:image

忘れて欲しく無い部分が有ります。人が最高に幸せを感じる瞬間は富を築いた時でしょうか、そうでは無いはずです。ありきたりな言葉に成りますが、「愛ある感情の交流」が全ての人の幸せの原点だと思ってます。

恋愛も家族愛も友情も職場の仲間も全て底辺に存在してなければいけない物、それが「心」だと思ってます。

世間のニュースになる様な、悲しい現実って社会が歩いて来た道に「人間が、人間らしい感情を抱く在り方をお粗末にした結果」、負の感情だけが肥大し、ストレスや歪んでしまった価値基準で人間本来の健康的な感情が歪み出し、暴走し狂気となっているのでは無いでしょうか。

 

  • 人間の感情は泥臭いが健康である

 

私は愛を叫び

失恋に涙して

メンタルを鍛えて

時には恋愛を充実させ

失敗を褒め

チャレンジに応援し

悲しみに嘆き

相手の感情を無視した罵倒は暴力であり

相手の感情を汲んだ強い言葉は叱咤激励である

 

本来の本能を見つめなおし、生っぽくジタバタして生きられる時代の再来を、強く希望したいと願います。

 

心の動きは中々視覚で捉えることが困難だと思いますが、其処に人々の幸せが眠っているのではないでしょうか。