自分に対する、他人からの評価を必要以上に意識するのは、無駄。
私は、自分の人生を自由に生きたいと、願う人間です。
私が今までに、出会い触れ合った相手のなかで、勿体無いと感じてしまう人が居ました。
それは、どんなタイプの人かと言うと、相手の視線に対しアンテナが高く敏感な人でした。
相手の自分に対して悪評を、著しく恐れ身動き取れなくなってる人です。
全ての、自分に対しての悪評が不当な評価とは言えませんが、無視すべき悪評も、少なく無いと私は思うのです。
その悪評を、受け止め自分自身、考え判断する事は必要だとは思います。
その評価を自分なりに、解釈した時に納得する意見である場合には、受け入れ改善可能であれば改善すべきです。
もしも、納得できなかった場合や、言い掛かりだろう問題だった場合は、気にするべきでないと判断したほうが良いと思います。
人は幸せな日常を求める生き物だと思うのですが、他人の不当な評価を気にして、自由な意思や発信を束縛されてしまうのは、もしかしたら、あなたの魅力を表現できなくなってるのではないでしょうか。
人は、まず第一に自分の事を考えてるのが、ほとんどだと思います。
たとえ、悪い評価をされた場合で、それを発信した張本人でさも、案外、次の瞬間からは自分の事情で頭の中いっぱいだったりしてたりするものだと思います。
自分の行動や発信は、経験としての宝物となってくれる物だと信じたいです。
沢山の出会いの中で、素敵だと感じられた経験は、私は自分が日常生活の中で、素晴らしい刺激となってくれるのです。
ネガティブな発想は、苦味を生みやすく可能性や希望とは縁遠い世界が広がってしまいやすい。
ポジティブな発想は、明るく先進的で、期待感も高く、魅力の生産能力も高まりやすくなってきます。
人生の主人公は、全ての人に与えられてる権利だと思ってます。
私の人生の主人公は、私自身で、
貴方の人生の主人公は、貴方自身なのです。
もしも、貴方が誰かの評価に対して、恐れ躊躇し立ち止まってしまっているのなら、私は残念に思ってしまうでしょう。
胸の中にある、素敵だと思える題材は、しまってしまうには勿体無いです。
私は、否定的な意見は実は、そんなに多く無いだろうと思っています。
確かに道徳面を、無視し誰かを傷付けてしまう題材は、良い内容では有りません。
自分の胸に、それらに当たるか確認して、問題無しと感じなら、遠慮は要らないはずです。
沢山の魅力を発信して下さい。